猛牛CLUB|天山広吉選手公認私設応援団|

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天山広吉選手公認の私設応援団・猛牛CLUBとは

猛牛CLUBとは、新日本プロレス所属の “天山広吉選手” を応援するために1997年1月に発足したmogyu_tenzan1.png
本人公認のオフィシャルファンクラブです。

主な活動内容としては、会員証や会報の発行、年2~3回ほど
天山選手を囲んでのイベント(食事会など)開催、試合チケット優先発行などを行ってます。

天山選手の人気が示すようにピーク時は会員の方も下は中学生から上は60歳過ぎの方まで老若男女問わず
幅広く参加して頂いておりました。

猛牛CLUBの活動の軌跡

猛牛CLUBの初ミーティング

SGタッグリーグ後楽園大会終了後、後楽園飯店にて天山広吉ファンクラブ『猛牛CLUB』発会に向けて、猛牛CLUB会報の第一号猛牛CLUB会報の第一号
天山選手、タイガー服部レフリー、新日プロ営業部長の上井さん、FC事務局スタッフが集結しミーティング。
FC運営計画などの話し合いが行われる。

←記念すべき会報第一号

『猛牛CLUB』発会式 1998年1月25日 新宿「結季亭」にて ↓

記念すべき第一回FCの集い開催!mogyu_tenzan2.jpgmogyu_tenzan2.jpg
西村修選手もゲスト参加。
天山選手とのツーショットフリートークタイムやプレゼント抽選会など、趣向を凝らして企画。大盛況でした。

ちなみにこの頃はnWoジャパンに属する天山選手は、
新日正規軍である西村選手とのドッキングに、
同期ならではの絆を見たのでした(リング上では対していた)。

『猛牛CLUB新年会』 1999年1月30日 新宿「居酒屋まつぼっくり」にて ↓

早くも猛牛イベント第七回目は新年会として開催。mogyu_tenzan4.jpgmogyu_tenzan4.jpgmogyu_tenzan3.jpgmogyu_tenzan3.jpg
記念すべき第一回FCの集い開催!
猛牛の力強い新年の抱負を聞きに、全国から会員が結集しました。
ファンクラブ恒例のツーショットフリートークタイム中、
なんとタッグパートナーの小島修選手が乱入するサプライズも。
プレゼント抽選会の目玉は、
天山選手着用リングハーフパンツ(nWo仕様)。
盛り上がりました。ちなみに二次会はカラオケスナックへ。
意外な美声を振る舞った天山選手でした。

『猛牛CLUBモバイル』携帯用サイトOPEN 1999年 ↓

魔法のiランドにて猛牛CLUBコミュニティサイトオープン。(現在は休止中)
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=TENZANFC

『猛牛CLUB発足3周年パーティー』 2000年1月14日 六本木「マキムシ」にて ↓

早いもので発足3周年を迎えた猛牛CLUBはヒロ斉藤選手をゲストに向かえ、賑やかにパーティーを開催しました。mogyu_tenzan5.jpgmogyu_tenzan5.jpg
この頃すでに会員数100名を突破。

ですが日程が合わずイベントには参加できない会員も多く、事務局としては全会員に公平な活動をするべく
試行錯誤の繰り返し。
全国に散らばる天山ファンが満足いただける活動とは・・・。
一つの壁にぶつかった時期でした。

『1泊2日で発足5周年パーティー』 2000年1月13日〜14日 熱海温泉にて ↓

鏡割りからスタートしたパーティーは、前年度末のG1タッグリーグ優勝の勢いに乗り、60名の参加者と狂喜乱舞の宴となりました。mogyu_tenzan6.png
鍛え上げられた天山選手に腹筋はビールっ腹と化し、熱海を席巻したのでした。
1泊2日ということで二日間も天山選手とふれあい、温泉まで浸かった大変満足の5周年祭でした。

2000年に新しいロゴとTシャツを作成

盛り上がる猛牛CLUBは新ロゴ制作してmogyu_clublogo.gifmogyu_clublogo.gifmogyu_Tshirt.pngmogyu_Tshirt.png
Tシャツ作っちゃいました。
猛牛マスクをモチーフにした新ロゴ。
天山選手もお気にで勢い余ってTシャツも作りました。

『天山選手の結婚を祝う会開催』 2002年3月2日 京王プラザホテルにて ↓

衝撃的(?)な天山選手の結婚を受けて、猛牛CLUBでもお祝いしよう!mogyu_tenzan7.jpgmogyu_tenzan7.jpgmogyu_news20.jpgmogyu_news20.jpg
という趣旨で、太っぱらにも京王プラザホテルのハーモニーの間で金屏風を設置して盛大にパーティーを開催しました。
ゲストに新日プロの上井部長、海野レフリー、吉江選手、タイガーマスク、矢野選手をお招きした宴でした。
会員50名は全国から集まり、みんなで猛牛を祝福。
思い出に残る豪華絢爛な祝賀会でした。
余興では吉江選手の漫談、矢野選手のステージ(モーニング娘の完コピ)、海野レフリーのここだけの話で盛り上がりました。

『天山選手と猛牛ボーリング大会』 2004年7月2日 埼玉・蕨ボウルにて ↓

猛牛CLUBも、いよいよ天山選手と直接対決する時期がきてしまいました。mogyu_tenzan8.jpgmogyu_tenzan8.jpg
プロレスではなくボーリングで。
ボーリングなら負けない!とばかり、チビッコからお年寄りまで天山選手に挑むは挑む!
リング上の暴走ぶりからは創造出来ない繊細なコースをつくボーリングで片っ端からチャレンジャーたちをはねつける猛牛。
やはり天山選手はタフだったのでした。

『猛牛CLUB』と「タイガーマスクのファンクラブ」での合同大宴会 2004年7月2日 埼玉・健康センター ↓

埼玉・蕨ボウルで行われたボーリング後はmogyu_tenzan9.jpgmogyu_tenzan9.jpgmogyu_tenzan10.jpgmogyu_tenzan10.jpg
タイガーマスクのファンクラブと合流し、健康センターで汗を流しました。
そして宴会場でダブルファンクラブの大宴会開催。
ボーリングの表彰式やプレゼント抽選会、
恒例のツーショットフリートークタイムなどで
盛り上がりました。

『猛牛CLUB大阪上陸』 2005年8月6日 大阪梅田 鍋居酒屋にて ↓

大阪大会後に梅田にて、定期飲み会を開催。関西の熱にふれ天山選手もヒートアップ。mogyu_tenzan11.jpgmogyu_tenzan11.jpgmogyu_tenzan12.jpgmogyu_tenzan12.jpg
タフでならす猛牛も、このアツさにはタジタジ。
皆で大いに盛り上がりエネルギーをもらいました。

『猛牛CLUB』現況 2012年10月1日現在 ↓

あくまでも猛牛CLUBは“私設応援団”的なスタンスで、予算や専属スタッフを備えておらず、
残念ながら2012年現在は事務局の運営が困難な為、開店休業中となっています。
一刻も早く皆様にいい報告が出来ればと思っています。

天山広吉選手のデータ

身長/183cm  体重/115kg  生年月日/1971年3月23日生  出身地/京都府京都市  血液型/O型  デビュー/1991年1月11日
得意技/アナコンダバイス、TTD、モンゴリアンチョップ、ダイビングヘッドバット、ムーンサルトプレス
所属ユニット/本隊  入場テーマ/テンザン〜時空〜

学生時代からボディビル、バスケットボールで鍛え、新日本プロレスが立ち上げた「新日本プロレス学校」に入門。
1991年1月11日、今冶市公会堂における松田納(現:エル・サムライ)戦でデビュー。
1993年に行なわれた第4回「ヤングライオン杯」で見事優勝し、6月にヨーロッパ修行へ。
1995年1月に凱旋帰国し、蝶野正洋、ヒロ斎藤と狼群団を結成。
1997年にはnWoジャパン入り。
1999年1月4日、小島聡とのテンコジタッグで第36代IWGPタッグ王者に輝く。
2000年には、蝶野率いるT2000の一員となる。
2001年12月の「G1 TAG LEAGUE」では、小島とのコンビで初優勝。
2002年1月、小島の新日本退団に伴い、テンコジタッグを解消する。
2003年6月10日、IWGPヘビー級王者の高山善廣に敗退したのを機にカナダ遠征へ出発。
 8月の「G1 CLIMAX」では、新技アナコンダバイスでプロレスリング・ノアの秋山準を撃破し、悲願の初優勝。
 11月3日、高山を下して第33代IWGP王者に輝く。 11月には、西村修とエントリーした「G1 TAG LEAGUE」で優勝。
2004年2月15日に行なわれた「IWGPヘビー級王座決定トーナメント」を制第35代IWGP王者に就く。8月の「G1」では、決勝戦で棚橋を下し連覇を達成。
 12月12日、佐々木健介を破り、第40代IWGP王者となる。 
2005年2月20日、「IWGPヘビー級・三冠ヘビー級 ダブルタイトルマッチ」で小島に敗れるが、5月14日に小島にリベンジし、IWGP王者に返り咲く。
 10月30日、蝶野との蝶天タッグで、自身5度目となるIWGPタッグ王座を獲得。
2006年8月の「G1」では、全勝でリーグ戦を勝ち抜き、決勝戦で小島を下して3度目の栄冠を掴む。その後、蝶野と決別。
 10月には真壁刀義らとヒールユニットG・B・Hを結成。11月には小島とのテンコジで全日本プロレスの「2006世界最強タッグ」に出場し、見事優勝。
2007年1月4日、テンコジとして蝶野&武藤敬司と激突。10月8日の後藤洋央紀戦以後、負傷欠場。
2008年2月17日に復帰するもG・B・Hを追放される。3月9日、G・B・Hに袋叩きにされていたところを飯塚高史に救出され、後に“友情タッグ”を結成。
 G・B・Hとの抗争を開始し、4月27日大阪府立体育会館で真壁矢野の持つIWGPタッグ王座に挑戦。だが、飯塚のまさかの裏切りで王座戴冠ならず。以降、飯塚とは因縁関係になる。
 7月8日、飯塚とのランバージャック・デスマッチに勝利。10月13日、チェーンデスマッチで飯塚に敗退。
 11月5日、小島とのテンコジで真壁・矢野を破り、「G1 TAG LEAGUE」V2を達成した。
2009年より長期欠場。
2010年11月の「NEVER.4」にて復帰を果たした。

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